黒澤明監督の『夢』に登場する作品『赤富士』
私の中で映画の「トラウマ」といえば、これしかない。中学のときに見て、トラウマになった。
それもそのはずだ。黒澤監督は “怖い” を超えた現実を描いた。自分自身の問題として目を背けないように、描いているのだから。
『夢』は、黒澤監督自身が実際に見た夢を映画化した作品だ。『赤富士』では、原発が爆発し、逃げ惑う人々の姿が描かれている。このセカイ──まぎれもなく日本である──では、放射能が拡散する「空気」が、目に見えるのだ。徐々にセカイに拡がって、逃げても逃げてもこちらに迫って来るのが、直にわかる。しかも「空気」は、原子の種類ごとに色とりどりの姿をしている。これが、じつに恐ろしい。私が忘れられないのは、このシーン。逃げて逃げて、ついに、海岸まで来てしまった、子をおぶう母の叫びだ。

怖ろしい。十四とか十五の少女にとって、目と耳を塞ぎたくなる光景である。
黒澤監督が原子力の問題に取り組み始めたのは1950年代からで、44歳で『七人の侍』を撮り、45歳『生きものの記録』を撮った。『赤富士』の撮影は1989年、78歳。なぜ、この映画を撮ったのか。黒澤監督直筆のノートに綴られている。



「人間は、間違いばかり起こしているのに、これだけは、絶対間違いは起こさないなんて、どうして云えるんだろう。それも、もし、間違ったらおしまいだと云うのに、どうしてそんなことが云えるんだろう。
間違ったらおしまいだと云う事に、絶対間違いはないなんて云える奴は氣違いだ」
「猿は火を使わない。
火は、自分達の手に負えないのを知ってるからだ。
ところが、人間は核を使い出した。
それが、自分達の手に負えないとは考えないらしい。
火山の爆発が手に負えないのはわかっているのに、原子力発電所の爆発ならなんとかなると思ってるのはどうかと思うね。
人間は猿より利巧かも知れないが、猿より思慮が足りないのもたしかだ」
『生きものの記録』は、水爆や放射能の脅威から逃れようとする一人の老人が、全財産を投げうって海外へ移住しようとする話だ。この作品の背景には、昭和29年に、アメリカがビキニ環礁で行った水爆実験がある。日本の第五福竜丸も被ばくした。
下記は、『生きものの記録』の台本の冒頭で、黒澤監督がスタッフに向けた言葉である。

「この映画は、水爆の脅威を描いている。
しかし、それをセンセーショナルに描こうとは思っていない。
ある一人の老人を通して、この問題をすべての人が自分自身の問題として考えてくれる様に描きたいのである。
この問題は、おそらく誰の頭の中にも、おぼろげながら大きな不安な影を投げかけている。
しかし、大方の人はそれから背をむけている。これは、我々にしてもそうなのであるが、問題があまりにも大きく怖ろしいからだ。そこに人間の弱さと愚かしさがあるのではないか。
たとえば、この水爆の脅威を他の動物達が知ったなら、おそらく本能的に行動を起こすだろう。少しでも安全な場所を捜し、そこへ向かって種族保存の本能から大移動を起すだろう。この映画の主人公は、そう云う生きもののかしこさと強さを持っている。
この主人公は、人間としては欠点だらけかも知れない。しかし、その一見奇矯な行動の中に、生きものの正直な叫びを聞いて貰いたいと思う」

「バカだな お前 つまらねえこと気に病みやがって」
「そんなことあ 総理大臣に任せときな」
「第一 オッサン 水爆や放射能が怖かったら 地球から引っ越しなよ」
いかにも、私たち「弱く愚かしい人間」の代弁である。
下に『赤富士』の台詞を記す。10分もない短編なので、是非ご一観を。
「何があった?」
「何があったんですか?」
「噴火したのか、富士山が」
「大変だ」
「もっと大変だよー」
「あんた知らないのー?」
「発電所が爆発したんだよー。原子力の」
「あの発電所の原子炉は6つある」
「それがみんな、次から次へと爆発を起こしてるんだ」
「狭い日本だ」
「逃げ場所はないよ」
「そんなことは分かっているよ」
「逃げたって広がる」
「でもねえ、逃げなきゃしょうがない」
「ほかにどうしようもないじゃないか」
「これまでだよ」
「でも、どうしたんだろ?」
「あの大勢の人たちはどこへ行ったんだ?」
「みんなどこへ逃げたんだ?」
「みんなこの海の底さ」
「あれはイルカだよ」
「イルカも逃げているのさ」
「イルカはいいねえ」
「泳げるからねえ」
「ふっ、どっちみち同じことさ」
「放射能に追いつかれるのは時間の問題だよ」
「来たよ」
「あの赤いのはプルトニウム239」
「あれを吸い込むと1千万分の1ミリグラムでも癌になる」
「黄色いのはストロンチウム90」
「あれが身体の中にはいると、骨髄に溜まり白血病になる」
「紫色のはセシウム137」
「生殖腺に集まり、遺伝子が突然変異を起こす」
「つまりどんな子供が生まれるか分からない」
「しかしまったく人間はアホだ」
「放射能は目に見えないから危険だと言って、」
「放射性物質の着色技術を発達させたってどうにもならない」
「知らずに殺されるか、知ってて殺されるか、それだけだ」
「死神に名詞もらったってどうしょうもねえ」
「じゃ、お先に」
「君、待ちたまえ」
「放射能で即死することはないっていうじゃないか」
「なんとか…」
「なんともならないよ」
「ぐじぐじ殺されるより、ひと思いに死ぬ方がいいよ」
「そりゃあ──大人は十分生きたんだから死んだっていいよ」
「でも、この子たちはまだいくらも生きちゃいないんだよ」
「放射能に冒されて死ぬのを待っているなんて、生きているうちにはならないよ」
「でもねえ」
「原発は安全だって。危険なのは操作のミスで、原発そのものに危険はない」
「絶対ミスは犯さないから、問題はないって抜かした奴は、許せない」
「あいつらみんな縛り首にしなくちゃ」
「死んだって死にきれないよ」
「大丈夫。そりゃ──放射能がちゃんとやってくれますよ」
「すいません」
「ぼくも縛り首の仲間の一人でした」
「ああっ…!!」
「あぁ…!!」
「ああぁ────!!」
(子をおぶう女性を庇うように、男性が上着を脱いで逆らおうとするが、叫びも努力も虚しく、全員が色とりどりの放射能の空気に覆われる)
※ 一部画像は次より拝借:
・『夢』岩波書店
・2013年9月20日 報道ステーション「没後15年、黒澤明監督のメッセージ」











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